Hello, 30

Column

みなさんこんばんは。このサイトを立ち上げて、何度か記事を書いたり書いてもらったりして、飽きて放置していた管理者のkiichiと言います。

私ごとですが、2024年現在、6月の5日で30歳になりました。せっかくの節目なので、どうせまた飽きてしまう前に今思っていることをこの場を使って残しておこうかなと思います。

ちなみに20代は永遠に続くと思っていました。

美術系だった10代

需要があるかはわかりませんが、経歴に沿ってお話しいたします。

10代前半はバスケ少年でしたが、10代後半の高校、大学(中退しました)は美術系でした。
中学の頃、副教科が得意だった僕は、美術の授業で描いたミレーの「落穂拾い」の模写で美術の成績が良かったことをきっかけに美術系の進学を勧められました。

ジャン=フランソワ・ミレーCgHjAgexUzNOOwGoogle アートプロジェクト, パブリック・ドメイン, リンクによる

Wikipedia

5教科の勉強を極力したくなかったという理由で世にも珍しい美術専門の高校に行き、そこで彫刻を学び、変な価値観を植え付けられたまま人体彫刻という「何業界に就職するんだ?」というはじめに気づくべき疑問を無視したまま専攻にしてしまい大学へと進みました。

世間一般的に多分ですが、「私って文系?理系?」という思春期として自分を形成する大事な悩みにあたり、今後の人生が大きく左右されるような時期に
「私って印象派?モダン?現代アート?」という変な悩みに当たってしまい、「他と違ってる俺かっこいい」とすごく間違った思い込みで多感な時期を過ごしました。この時に形成された変なプライドは、誰からも興味を得られなかったため、自分の間違いに気づき思考の更生ができるまで本当に厄介な存在でした。

音楽に浸かった20代前半

そんな美術系に進んだものの、20代前半、一番情熱を注いだのは音楽でした。

親が山崎まさよしを好きだった影響で始めたギターのおかげで「ギター弾ける」という噂が学校中に広がり
いかにもロックが好きそうないかつい見た目の同級生女子二人から「お前って、楽器弾けんだよな?」と軽音部のスカウトされました。怖かったので二つ返事で承諾しました。

そんなこんなで高校では軽音部に入り、(ギターでスカウトされたのに何故か)楽器はドラム、ジャンルはパンクで銀杏BOYZとブルーハーツのコピーバンドから入り、ライブハウスで知り合った他校の人たちとバンドを組んだりして、そのままどっぷり「セックス!ドラッグ!ロックンロール!」な20代を迎えました(話盛ってます。実際は「バイト!バイト!ロックンロール!」です。)

ギターボーカルとしてツアーバンドで日本中を車で走り回ったり、仕事もバイトと掛け持ちで「ローディ」というバンドスタッフみたいなこともやって日本中を走り回っていました。いろいろな人にお世話になったり、迷惑かけたり、ちょっとは注目されたり、誰かと揉めたり、同世代のバンドに嫉妬したりと、今思い返すとお金こそはありませんでしたが、本当に楽しかったです。20代の黄金期といってもいいぐらい充実していました。

バンド(pajama d’red)の音源リンク
https://www.tunecore.co.jp/artists?id=327213&lang=ja

そんな黄金期も長くは続きませんでした。バンドも、自分の変なプライドとかが邪魔して解散になり(後ほどお話しします)
世間はコロナになって音楽活動もできなくなり、当時付き合っていた彼女にも振られ最悪な状態で20代後半が始まりました。

芸能事務所からのフリーランスとして開業

20代後半は挫折でした。バンドをやっていた頃は、決して成功しているとは言えない状況でしたが、自分にとってはある程度いい経験を持ってしまうと、過去ばかり振り返ってしまって「未練」みたいな感情がずっと心にこびりついたようにありました。

それでもなんとかしようと、ソロとして曲を作ったり、いろいろなオーディションに参加して芸能事務所に所属し、「モデル」のようなことをしてみたり、ゲーム実況配信をしてみたり、俳優の卵たちとドラマを作成したり、しっかりとボイトレを受けて自分の歌に向き合ってみたり、勢いと思想だけが音楽ではないという事を知り、色んな音楽を聴き漁りました。

ソロ音源リンク
https://www.tunecore.co.jp/artists/kkiichiii?lang=ja

ですが、こびりついた「未練」のような感情が邪魔をして、
何をしてもうまくいっているという感覚を得られませんでした。

デザイン事務所で就職を試みたこともありましたが、ものの3ヶ月で辞めてしまいうまくはいかなかったです。

しかし、そんな「挫折」も長く続かないみたいでした。

幸い器用貧乏な性格が功をなして色々とスキルがあったので、デザイン事務所を辞めたのをきっかけにフリーランスで開業してみることにしました。

その時は実家に居たため開業するにあったって時間とお金にも困ってなかったのと、バンドのホームページを作るために勉強した知識で、Webサイト作成の仕事を受けたことがあったので仕事の取り方には困りませんでした。

バンドのMVを作った時の経験と、美術系に進学して学んだ制作ソフトのスキルを活かして動画編集や漫画の構成やWebサイト制作など、ちょっとでもできると思った事は片っ端からなんでもやりました。

このフリーランスになるという選択が、20代後半に入って経験した「挫折」からくる「未練」の感情を薄めてくれて、立ち直ることができたきっかけになってくれました。

今思うと、10代の時に「私って理系?文系?」という悩みを避けたおかげで、「自分に対する決めつけ」をそこまで持たずに「どんな仕事でも、ちょっとでもできると思ったらやる。」という決断のハードルを下げてくれたのが良かったのではないかと思います。

そして28歳の時に芸能事務所を退所し、フリーランスで稼いだ自分のお金で(当時大阪に住んでいたのですが)上京することを決断しました。

海外と現在

上京したのち、とてもいい会社との出会いがあり
現在は動画系で文章を使って人に教える立場になったり、マーケティングの一端を担ったり、表計算で分析業務をしたりと自分的にはやっている仕事のレベルも上がり順調なフリーランスライフを送れているのではないかと思っております。

そんな日々を送っている最中
経済的に安定したことと、完全フルリモートなのでPCとWi-Fiさえあればどこでも仕事ができること、そして元バンドメンバーがロンドンにいるということもあり上京してちょうど1年を迎えた頃から海外旅に出かけました。

そこまで長い期間ではなく、期間をあけたりしながらではありますが
イギリス、スイス、フィンランド、韓国、ベトナム、香港の計6各国に行きました。

ベトナム ハノイ 旧市街の風景

このWebサイトもそうですが、昔から何か新しい場所を作って、コンテンツを作っては飽きてを繰り返しているのですが
海外旅行をまとめた動画やパッキング動画などを作ってYoutubeに公開したりしてました。
今は飽きていますがきっとその気になればまた動画作って上げます。よければ見てください。

旅行の話もいつかきっと多分おそらくmaybe記事に書きます。

この頃から、20代前半から自分の中でなんとなく形成されていたテーマがはっきりと答えになり形をなしてきました。

30代で大事にしたいテーマとこれからについて

20代を通して、自分の本当にしたいことをやりたいようにしてきましたが、そうする上でとてもネックな要素がずっと付き纏っていました。それは「お金」です。

それも、やりたいことに対してお金がないという問題ではなく(お金がなくても無理矢理なんでもやっていました。)何かをするにはマネタイズをしたい、しなければならない、ビジネスとして好きを仕事と捉えてやりたい。やらなければならないとずっと思っていたことです。

具体的に例を挙げると
バンドをするにしても、売れたい。売れてお金がなければ、ずっとなんか続けてられない。売れるためにはどんな活動をして、どんな曲を作って。どんなMV作ってアルバム作ってどんな売り出し方で、広告回してグッズ作ってイベント企画してツアー回って。

いいライブをしても赤字続き。

結果、自分がこなした「業務」としての作業と周りに求める質のギャップが生じ、自分だけしか信じることができなくなって、メンバーからも不満が生まれ、険悪になり解散する。という感じで
皮肉にもずっと続けるために売れようとした結果続けられないということがよくありました。

おかげで自分自身のスキルが身につき今の仕事に繋がったと言うこともあったので悪いことばかりではないのですが、どうやら僕は好きなことが仕事になってしまってはダメなようでした。(今やっている仕事は、「仕事は仕事。」と割り切ってなんでも挑戦できるのが良い結果に繋がっているのかもしれません。)

そして気がつくと周りには「友達」と呼べる人がほとんどいなくなってしまいました。

そんな中仕事中、仕事仲間とのふとした会話の中でこんな事を言われました。

たとえどんな無知な人や、自分と価値観が違う人とチームを組んでも、それぞれの角度でものごとを見ている。それを共有し合えば、自分一人では絶対に辿りつけないレベルのところまでみんなでたどり着くことができる。いろんな会社がミーティングを重ねる理由はそこにあるかもしれません。

ここ数年で一番ハッとしました。今まで僕は、「人に期待しても大体は裏切られるから期待しないで接したほうがいい」「どんなに気を使っても誤解されることはザラにあるのだから、気を使うことなく接しても最後周りに残っている人を大切にすればいい」という価値観を持っていました。

その価値観を見直すきっかけになった言葉でした。

そして、仕事は仕事として(あくまで自分的にはですが)経済的にも安定した今だからこそ「お金」を考える事なく好きなことができる。

という状況が、30代で大切にしたいテーマを決めてくれました。それがこちらです。

したいことをやる。
ビジネスやお金に囚われずにカジュアルにやってみる。
したくないと思ったら無理せずしない。
そして人と共有する。
それは一方的に発信だけではなく一緒にやったりして共有する。
共有した人を大事にする。

書き出してみるとすごく基本的なことに感じます。
基本的なことにたどり着くまでに30年もかかりました。飽き性なのですぐに変わっていくかもしれませんが。

けど、今僕はそう思っていて、今やりたいこともあります。

今やりたいこととこの記事のテーマ

やっぱり音楽を作ることが一番したいです。自分の作る歌には自信がありますし。
できればバンドとして、人と共有しながら作っていくということができれば最高です。

そして作った音楽や、音楽以外にも色々と発信していきたいです。
この記事もその一環でカジュアルな気持ちで書き始めました。

仕事の中でもやってみたいことも別であったりして大忙しなので一旦はこのぐらいです。

できれば音楽一緒にやってもいいよと言う人や
このサイトで一緒に記事を書いてみたい、僕も私もYouTube動画発信一緒にやってみたいなと思う人がいればカジュアルな気持ちで連絡くれると幸いです。

連絡は、インスタフォローしてDMとかにくれるとありがたいです。

余談ですが、この記事のタイトル「Hello, 30」には由来が実はありまして、
20歳の時にやっていたバンドで(作ったのは僕じゃないですが)「Hello, 20」と言う曲がありました。

この間ふとサウンドクラウドにあるのを発見して聞いてみるといい曲だなと思ったので「Hello, 30」をタイトルにつけました。

「Hello, 20」はとても良い曲なんですが、レコーディング後にバンドが解散し、当時は発表されることがなかった曲です。

この記事はしっかり発表しよう。という意思もこのタイトルに込めました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

またその気になれば更新します。

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